お守りナース「ににふに」です。
大阪・豊中と吹田で、自費(保険外)の伴走型支援と高齢者の訪問サポートをしています。
新しい年が明けて、早くもひと月が経ちました。
さて【ににふにの本棚】#03はこの本をご紹介します。
▶『月夜の森の梟』小池真理子(朝日新聞出版/2021年刊)

今回ご紹介するのはエッセイ集です。朝日新聞で連載されていたものを纏めているのでお読みになった方も多いかもしれません。
長年連れ添った夫を肺がんで亡くした著者の、闘病を支える日々、そしてその後の喪失感を抱えながら生きていく姿が綴られています。
「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」
亡くなる数週間前に妻にそう言った夫。生への執着とあきらめが重く伝わるこの言葉をかけられた哀しみはどれほどのものでしょう。
三十七年間、生活を共にしてきたが、百年も千年も一緒にいたような気がする。途方もなく長い歳月が、古木に空いた大きな洞の中、湿った真綿のごとく積み重ねられている。独りになった私は今、その洞のうす暗がりの中にじっと潜んでいる。 (「百年も千年も」より)
このような深い孤独のありようが記されているのに、それが「不幸」や「哀れみ」としてではなく、むしろ、そこまで深く喪失を感じていることそのものが「愛の深さ」なのだと伝わってきます。それが読み終えたあと生きていくことへの静かな意志へとつながるのかもしれません。
私がこの本と出合ったのは、ホスピスの患者さんに薦められたのがきっかけでした。
余命宣告を受けベッド上生活を送っていたその方は、数年前最愛の夫を亡くしていました。
わたしにこの本を見せて、
「死ぬのは怖いけど、あの人のいない日々が終わりになる、と、そんなふうに思う自分もいるの。ひとりになったとき、哀しくて哀しくてね・・・。何を見ても食べてもそれまでとは違った。そんな時この本を知って、どれだけ救われたか。よかったら読んでみてね」
わたしはただうなずくだけでした。
今、その時の落ち着いた声や表情を思い出しながらこの本を開いています。
喪失はきわめて個人的な体験なのだ。他の誰とも真に共有することはできない。
(「それぞれの哀しみ」より)
たしかにそうだと思う。だから生半可な「わかります」という言葉は相手との距離ができてしまう。
この本は「喪失」を抱いている方の哀しみや孤独の根元にまで深く沁み入る一冊です。
『月夜の森の梟』小池真理子(朝日新聞出版/2021年刊)

